共作は単に共同作業というより、何を共有するか。

イチオシ!
共作は単に共同作業というより、何を共有するか。
今日のうたコラムでは、元ふぇのたすのメンバーであり、バンド解散後、より本格的に作詞作曲家として活躍をなさっている“ヤマモトショウ”さんのスペシャル歌詞エッセイを3週に渡ってお届けいたします。フィロソフィーのダンス、桜エビ~ず、MINT mate box、寺嶋由芙、などこれまで数々のアーティストに歌詞を提供してきた彼。そのなかで“共作”をする機会も多々あるんだそう。 そこで今回のうたコラムでは、歌詞の“共作”をテーマにエッセイを綴っていただきました。アイドルである“寺嶋由芙”さんとの共作について綴っていただいた 第1回 に続く第2回では、3人組バンド“ MINT mate box ”とシンガーソングライター“ 中村千尋 ”さん、そして“ 大森靖子 ”さんとの共作について。普段はなかなか知ることのない裏話。是非、ご熟読を! ~第2回歌詞エッセイ~ 作詞の共作にも色々な形がある。例えば作曲家の方が作った曲に、誰かと一緒に歌詞を乗せるパターン、詞先でどんな歌詞にしたいかという話から始めるパターン、僕は作曲家でもあるので僕自身が作曲をしてその時点で歌詞のイメージを一部つくり、そのあとを共作するパターン。どれも、つくりかたが違って、出来上がるものも違う。設計図は共通するはずなのに、使う道具は違うし、道具の持ちかたも違う。 MINT mate box は結成当初からプロデューサとして関わっており、全楽曲の作曲と作詞もほとんどの曲を僕が1人で行っていた。前回も書いたが、「歌詞というのはアーティストの思っていることである」というのは端的に現代のドグマである。バンドやシンガーソングライターでは特にその傾向が強く、やってる本人もそのように思い込んでしまっていることが多い。 しかし、本質的に重要なのは「音楽が良くなること」ただひとつだ。最新アルバムで、メンバーから作詞に関わることで曲への取り組みかたが良くなる気がするという申し出があったので、試してみた。たしかにそうなったようにも感じる。共作をしたことによってもっとも成長したのは自分だったかもしれない。音楽にどうやって関わっていくべきなのか、この共作を経てアルバムのリード曲「 hanabi 」の歌詞を今度は1人で書いたときに、そのドグマを超えられるかもしれない「一瞬と永遠」をテーマにすることが可能になった。 中村千尋 さんのアルバムでの彼女との共作曲も他にはない経験だった。彼女はシンガーソングライターで、もちろん普段は自身で作詞作曲をされている。僕は中村さんのこれまでの曲を聴いて、その素晴らしさはそこに書かれていることが「彼女自身のことであってもそうでなくても面白い」という点なのではないかと思っていた。切り取られた視点は本人のもののようにも思える。でも、話をしてみるとそんな人に見えないような気もする。 僕は人間観察という言葉があまり好きではない。それをしているという人の大半がぜんぜん人間を見ることができていないからだ。人はみんな違うけれど、どこか同じ部分があるから面白い。一見、見落としそうなその共通項を見つけるのが本当の人間観察で、中村千尋さんはそれをしているし、しかもシンガーとしてそれを表現もできる。これだったら一緒に人間観察をしてみたいかもしれないと思って「 インスタントラブ 」と「 下心スケルトン 」という曲をつくった。 都合のいい人になってしまう人と相手の下心が見えちゃう人の話。僕がひとりでかいたら妄想すぎる話で、中村さん一人で書いたら冷静すぎる話、それが共作でちょうどいい「人間観察」になっている。好きじゃなかった言葉を、自分のものにして好きになることすらできるのが共作だ。 そういえば、前述した通り僕は作曲家でもあるけれど、自分で作曲した曲にはほとんど自分で作詞をする(他の方が作曲した曲に作詞だけをすることは多いし、詞が先にあるものに曲をつけることもままあるが)。これはまあ単純にそのほうが早いし良い、ということなのだけれど、たまに例外的に僕が曲を書いた後、詞を別の人に書いてもらうことがある。 「作詞家」としての自分の感覚からすればこれは共作に近い。なぜなら、作曲の段階で自分の中にはある程度こんな歌詞というイメージがあるからだ。しかしそれを直接歌詞として伝えてしまったら、意味がない(だったら自分でかくわけで)。だから結局それを曲のイメージとして伝えなければいけないし、伝わる人でなければいけない。自分はこれを読み取る力はあると思うが(だから作詞家をやっている)、伝える力(つまり単独の作曲家としての力)がどこまであるのか不明である。 その数少ない例外として、 大森靖子 さんとの作品があり「 コミュニケイション・バリア 」などは、明らかに僕がイメージした通りの内容で、かつそれ以上クオリティの詞になった。逆に、僕が大森さんの歌う曲を作詞したときは(SOROR「 大人の恋愛 feat. 大森靖子 」)また今までに感じたことのない緊張感があった。これも含めて、また違う形での共作という感覚が生まれた。 この秋から、 simpatix という新しいアイドルグループのサウンドプロデュースも行っている。こちらではプロデューサーの高井つき奈さんと歌詞を一部共作している。彼女は僕のやっていた“ふぇのたす”というバンドが非常に好きらしく、このsimpatixというグループでは「世界一かわいい曲を歌うアイドルグループ」をつくりましょうというコンセプトを共有している。 僕は実際にはふぇのたすをやっていた頃「かわいい音楽」ということだけを意図してつくっていたわけではない(と思うのだが例えば「 かわいいだけじゃダメみたい 」という曲はなぜかタイトルに反してその感想の99%が「かわいい」なのである。ダメってことか?)。いうなればこんな音楽がボーカル・みこには合うのではないかとその時の僕が考えていた、というだけのことなのだ。それはたぶん、それなりにバンドらしい話で、またプロの作詞家というよりはグループを通して何かを表現したかったのだろう。それは自分自身のこととしても。そして、今度は他者の目も通して僕がどうやらかねてから表現できていた「らしい」、かわいいを追求してみたいということも思っていたのでこれはとてもありがたい機会でもあった。 作詞、という作業における共作は単に共同作業というより「何を共有するか」という点においても、まだまだ信じられないくらい多様に開かれている。 <ヤマモトショウ> 【最終回に続く!】























